スカムファミリー(SCUMxFAMILY) #1 | 河川敷の絶対君主

頭の中

純粋な客観性は存在し得るのか

という問いは、哲学、科学、心理学の分野で何世紀にもわたって議論されてきた、非常に深く本質的なテーマです。

現代では
「人間にとって、純粋で完全な客観性に到達することは不可能に近い
というのが、主要な知見における一般的な回答です。

なぜ「純粋な客観性」が成立し得ないのか、そして私たちが普段「客観的」と呼んでいるものは一体何なのかについて、いくつかの視点から整理してみます。

と、それっぽく始めてみましたが、要は
迷惑バーベキュー家族」のような周りのことを考えてないっぽい人やグループが一定数存在するけど、アレは何なのか?
という疑問から、

  • ↓彼らの客観性はどうなっているのか?
  • ↓客観性っつってもそんなの確認しようがないじゃん 
  • ↓そもそも「客観性」って何よ?
  • そんじゃまず「客観性」を調べてみよう

という流れです。

哲学的・認識論的な限界

哲学の分野、特に
「認識論(私たちはどうやって物を知るのか)」
においては、人間が世界を認識する仕組みそのものに限界があるとされています。

「神の視点」の不在

アメリカの哲学者トマス・ネーゲルは、純粋な客観性を
「どこでもない場所からの眺め(View from Nowhere)」と表現しました。

しかし、私たちは常に「どこか(特定の身体、文化、時代、言語)」にいます。

特定の立場や視点を持たずに物事を見ることは、原理的に不可能です。

カントの「色眼鏡」

イマヌエル・カントは、人間は時間や空間、因果関係といった
「人間の認識形式(色眼鏡)」
を通してしか世界を見ることができないと説きました。

私たちは「物そのもの」を見ることはできず、「人間にそう見えている世界」しか知ることができません。

生物学・心理学的な限界

私たちの脳や感覚器官の仕組みも、純粋な客観性を妨げる要因となります。

認知バイアス

人間の脳は、情報をありのままに処理するのではなく、
過去の経験や生存本能に基づいて「解釈」し、「編集」します。
(確証バイアスなど)

感覚の範囲

私たちは紫外線が見えず、超音波も聞こえません。
私たちが捉えている「客観的な現実」は、人間の感覚器官が切り取ったごく一部の世界に過ぎません。

科学における限界

最も客観的であるとされる科学の世界でさえ、完全な客観性は揺らいでいます。

観測者効果(量子力学)

ミクロの世界では、「観測する」という行為そのものが、
観測対象の状態を変化させてしまうことが知られています。
(ハイゼンベルクの不確定性原理など)

「誰も見ていない時のありのままの状態」を確定することは困難です。

パラダイムの影響

科学者も人間であり、その時代の支配的な理論や価値観(パラダイム)の中で仮説を立てます。
「何をデータとして選ぶか」という時点で、すでに主観的な選択が入っています。

では「客観性」とは何なのか? →間主観性

純粋な客観性が存在しないなら、普段使っている「客観的」という言葉は何を指しているのでしょうか?

現代において、実用的な意味での客観性は、「間主観性(Intersubjectivity)」と言うそうです。

間主観性とは

「私にとっても、あなたにとっても、彼にとっても同じように見える」
という、主観と主観の共通領域のことです。

合意形成としての客観性

絶対的な神の視点があるわけではなく、
「多くの異なる視点を持つ人々が、検証した結果、同じ結論に至った」
という合意の強さを、私たちは便宜上「客観性」と呼んでいます。

例: 「このリンゴは赤い」というのは、厳密には脳が作り出した主観的な色彩体験ですが、多くの人が「赤い」と同意できるため、客観的な事実として扱われます。

「人間を離れた、宇宙にただ一つ存在する純粋な客観性」に到達することは、私たちにはできません。
私たちは常に自分の視点という唯一の位置にいます。

そのうえで私たちは対話し、検証し合い、異なる視点をすり合わせることで、
「限りなく客観に近い状態(間主観性)」を作り出そうと努力します。

純粋な客観性は、到達点ではなく、私たちが目指し続ける「方向」や「理想」として存在していると言えるでしょう。

接続

客観性は存在しないが、間主観性という主観ベースの合意概念は存在する。

ちょっと違うような気もしますが、
「相手の立場に立って」
「相手がどう思うか」
という主観の中にある「架空の客観性」も間主観性に含まれるのでしょうか?

また、「迷惑バーベキュー“家族”」のように、
そっち系の人たちは大小あれどコミュニティを形成しているように見えます。

次回はこのあたりについて続きます。


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