前回の続き
「相手の立場に立って考える」
という架空の客観性のような感覚は、社会学や心理学において非常に重要な概念であり、「社会的な意味での客観性」を成立させるための根幹となるものです。
でもそんなの関係ねぇ、になっている人は、あえてそれを捨てているのか、
そもそもそういった概念を認識できないのか。
迷惑バーベキュー家族のような「迷惑行為をする人々の心理」と「間主観性」の関係について、以下の3つの点から探ってみます
「私にとっても、あなたにとっても、彼にとっても同じように見える」
という、みんなの主観と主観が重なる範囲、的な感じです。
1. 「一般化された他者」という概念
他者の視点を想像する能力は、社会学では「一般化された他者」と呼ばれています。
どういう機能か
特定の「Aさん」や「Bさん」の顔色をうかがうのではなく、
「世間一般ならどう思うか」「普通の人間ならどう感じるか」
という抽象的な第三者の視点を自分の心の中に飼うことです。
間主観性との関係
この「心の中の第三者」の視点を持っているからこそ、私たちは直接会話をしなくても「ここで騒いだら迷惑だろうな」と予測できます。
この能力は広い意味での「間主観性」を形成するための必須機能です。
2. なぜ「迷惑バーベキュー家族」にはそれが通じないのか?
「迷惑行為をするコミュニティ(家族や仲間)」は、本当に「客観性」を持っていないのでしょうか?
彼らは「閉じた間主観性」の中にいると考えられます。
内輪での合意形成
彼らのグループ内では、
「楽しい」「サイコー」「文句を言うヤツはオレらがうらやましい」「うぇーい」
という強烈な「内部だけで通用する合意」が出来上がっています。
「一般化された他者」の不在
彼らの心の中には「世間一般」という抽象的な視点(架空の客観性)が存在せず、代わりに「俺たち(We)」という視点しかありません。
外部の遮断
結果として、彼らにとっての「世界」は自分たちの半径数メートルで完結します。
その結界の外の人間は「同じ人間(主観を持つ他者)」ではなく、単なる「背景」や「障害物」として認識されてしまいます。
さらに、集団になることで「自分たちの正義」が増幅されやすくなり、ますます外部の視点が入り込めなくなっていきます。

うぇーい系ではなく、もっと淡々とした系統の人種、グループもいますね。一見普通っぽいけど、暗い邦画のような違和感のある家族とか。
あれも気になる…
グループではなく、一人の場合はどうなんだろう?
と思ったのでちょっと脱線します。
そっちのグループに属しているけど、演じているだけっぽい人や
一人でも完全に閉じた間主観性を維持しているような人もいます。
「閉じた間主観性」は必ずしも物理的な集団を必要としないようです。
「一人でも完全に閉じている人」の正体
物理的には孤立していても、精神的に「閉じた間主観性」を維持している人は、以下の2つのどちらかのパターンであることが多いです。
A. 脳内に「見えない仲間」がいる
現代において最も多いパターン。
- 物理的には一人、ネット上では集団
部屋に一人でいても、SNSやネット掲示板で
「自分と同じ極端な意見」ばかりを見ていれば、
脳は「これが世界の真実だ(=客観的事実)」と誤認します。 - 『いいね!』で作られたデジタル・エコーチェンバー
物理的に集まるような仲間はいなくても、画面の向こうに数千人の「そうだそうだ!」と言う仲間がいれば、脳内では巨大な「内輪」が形成されます。
彼は一人で戦っているつもりでも、精神的には「巨大な軍隊の一員」として振る舞っています。
B. 自己完結型の妄想
ネットすら関係なく、自分の殻に閉じこもっているタイプ。
- 「一般化された他者」の捏造
通常、人は心の中に「世間の目」を持っていますが、このタイプの人は
「自分の都合のいいように解釈してくれる架空の世間」
を脳内に作り上げています。 - ナルシシズムを極めし者
外部からの批判を「嫉妬」や「無知」と変換するフィルターが強力すぎて、一人であっても「私は正しい、周りがおかしい」という
「自分一人だけの合意」を永遠に維持できます。
「集団の中で演じているだけの人」の心理
「そういうグループにいるけど、実はビクビクしている人」や「本当は悪いと思っている人」も結構な割合でいそうです。
そういう人は、「閉じた間主観性」に染まっているわけではなく、「同調圧力」に屈している状態です。
こういうのは「多元的無知」とかいうかっこいい名前の現象が関係しているようです。
「裸の王様」現象
- メカニズム
集団のメンバーAさんが「これはちょっとうるさすぎるかも…」と思っていても、ボスや他のメンバーが楽しそうにしているのを見て、
「みんなはこれを正しいと思っているんだ。反対するのは空気が読めないことだ」
と思い込み、楽しそうに演技をします。 - 全員が演じている可能性
恐ろしいのは、メンバーの多くが「これ、やばいんじゃない?」と思っているのに、お互いに「こいつは楽しんでいる」と誤解し合っている状況になってしまうことです。 - 結果
「誰も本心では望んでいない迷惑行為」が、集団の力学だけで維持されてしまいます。
彼らは「客観性」がないのではなく、「行動」がロックされてしまっている感じです。
迷惑グループの中身のいろいろ
「閉じた世界に属しているように見えるの人々」を分解すると、以下の3層構造になっています。
- コア
一人でも「自分たちは正しい」と信じているリーダー格や、ネットで先鋭化した個人。
脳のフィルターが完全に書き換わっている(閉じた間主観性の発生源)。 - フォロワー
一人なら常識的だが、集団になると気が大きくなり、コアの熱狂に感染して「青信号」だと思い込む人。
離れれば正気に戻ることもある。 - アクター
内心では「やばいんじゃね?」と思いつつ、仲間外れを恐れて話を合わせている人。
インタビューで、「私は止めたんですけど…」と真っ先に裏切るのはこの層。
外から見るとこれら全員が「一つの塊」に見えてしまいますが、完全にヤバい人は案外少ようです。
3. 「想像力」の欠如と「認知」の歪み
「彼らは、私たちがイメージするような客観性を持っていないのか?」という疑問に対する答えは、「その通り(少なくともその瞬間は機能していない)」です。
これを心理学的な視点で見ると、以下のよう説明できるようです。
視点取得の不全
物理的に自分が立っている場所からしか世界を見られず、
「相手の場所から自分を見たらどう見えるか」(うるさい騒音源に見える、など)
という想像力が働いていません。
自己奉仕バイアス
「自分たちは楽しんでいる=良いことをしている」という感情が優先され、それを邪魔する情報は「悪」として処理されます。
まとめ
「架空の客観性(一般化された他者)」こそが、社会的なマナーやモラルを支えるものです。
しかし、迷惑行為をする人間は、「自分たちだけの狭い間主観性」に閉じこもることで、外部(社会全体)と共有したほうが良さそうな「常識」を遮断してしまっているようです。
「客観性がない」というよりも、
「客観性の通用する範囲(と共有する相手)を、極端に狭く限定してしまっている」
と言ったほうが近い?
だから、外から見ると話が通じないように見えるのかもしれません。

この「視野の広さ」の違いは、ネットの炎上や、企業の不祥事などにも当てはまりそうですね。
あの話の噛み合わなさは見えているものがぜんぜん違うからなのかもしれません。
おもしろいって言ったら怒られそうだけど面白い。
接続
昔だったら、「狼藉者め!打首じゃー!」で終わりそうな感じですが、今はそうもいきません。
あえて客観性を捨てているのではなく、客観性の概念そのものが違うのであれば、もはやわかり合うことは不可能なのでしょうか?
なぜ「閉じた集団(内輪ノリの暴走)」は外部に対して攻撃的あるいは無神経になるのか。
言葉を選ばず言えば、脳の構造が違うのでしょうか。
次回はそのあたりを掘り下げてみます。



