日本では「エッセイ」という言葉が、芸能人の日記から専門家の小論文、謎の人物のポエムまで幅広く使われており、なんだか曖昧です。
それっぽい文章はとりあえずエッセイに分類されてるっぽいけど、そもそもエッセイって何なのよ?
ということで調べてみました。
エッセイの本来の意味は「思考の実験」や「試み」という、かなり挑戦的なニュアンスを持っていました。
語源は「味見」や「計量」
「エッセイ(Essay)」の語源は、古フランス語の「Essai(エサイ)」です。
さらに遡ると、ラテン語の「Exagium(エクサギウム=計量する)」に行き着きます。
そこから以下のような意味が生まれました。
エッセイは、完成された事実や出来事を“書いたもの”ではなく
「自分の考えがどこまで通用するか試してみる」
「思考の重さを測る」
「考えの色味を確認する」
といった感じの
書くプロセスや
書く行為そのもの
を指すような言葉でした。
エッセイの生みの親
この言葉を文章の形式として定着させたのが、16世紀フランスの哲学者「ミシェル・ド・モンテーニュ」です。
モンテーニュの代表作のタイトルがそのまま
『エセー(Essais)』=「試みた文章たち」
でした。
ざっくり「自分自身を実験台にして、人間というものを観察する」という内容です。
モンテーニュのエッセイについての勝手な◯✕。
| ◎ そう! | ✕ ちがう |
|---|---|
| その時点で考えていることを書く | 結論を出すための文章、ではない |
| 途中経過のまま書く | 教えるための文章、ではない |
| 自分の頭を素材にして書く | 体系化された思想書、ではない |
「私は何を知っているか?(Que sais-je?)」
モンテーニュはこの言葉をモットーとし
「オレ、これ知ってるから書くわ!」
と断言するのではなく
「私は何を知っているんだろうか? ちょっと書いて確かめてみるか…」
という姿勢でした。
エッセイとは
「考えてみること自体」を公開する文章
という、なんだか今でも斬新に聞こえる文章でした。
エッセイはジャンルじゃない
日本では「エッセイ=随筆」と翻訳されることが多いですが、本来の意味は結構違います。
| 特徴 | エッセイ(本来の意味) | 随筆(日本的伝統) |
| 語源の意味 | 試み・実験 | 筆に随(したが)う |
| 視点の方向 | 内面的・論理的 「私はなぜそう感じるのか?」と思考を掘り下げる。 | 外面的・感性的 見聞きしたことや季節の移ろいを、心のままに書き留める。 |
| 代表例 | モンテーニュ『エセー』 ベーコン『随想集』 | 清少納言『枕草子』 兼好法師『徒然草』 |
| 観点 | エッセイ | 随筆 |
|---|---|---|
| 語感 | 思考・内省寄り | つれづれ・日常寄り |
| 重点 | 考え方・視点の変化 | 体験・情景・感情 |
| 構造 | まとまらなくてよい | ある程度まとまる |
| 結論 | 着地しなくてよい | 暗黙の着地あり |
整理すると、エッセイの本質は以下です。
- 主題はあっても、結論は未確定
- 論理よりも「考えの動き」を重視
- 正しさよりも「自分の感触」を優先
- 書き手自身が最大の素材
なので、小説、評論、随筆
という「内容のジャンル」とは別軸の
どう考え、どう書くか
思考を完成品として出すのか、過程として出すのか
といった「思考の書き方・姿勢のジャンル」の一種になります。
「なります」とは言ったものの、なんだかほんわりしていていまいちピンときていません。
“別軸のジャンル”はエッセイの他に、以下のようなものがあるようです。
エッセイ → 動いている途中を見せる
アフォリズム → 瞬間だけ見せる
断章 → 未完のまま置く
思考日記 → 自分の変化を記録する
メモワール → 長期的な意味変化を辿る
ニーチェ、デカルト、松尾芭蕉など、別軸のジャンルに当てはめて見ることもできるようですが、全然わかりません。
文学部の学生とか研究者はそういうのやってるんでしょうか?
なぜ日本では曖昧になったのか?
日本では、明治時代以降に西洋の「Essay」が入ってきた際、日本古来の「随筆」という文化と混ざり合いました。
翻訳語として「便利すぎた」
出版・雑誌文化の影響により
- 芸能人エッセイ
- 旅エッセイ
- 癒し系エッセイ
など、「読みやすい読み物」の総称として使われました。
徐々に本来の「試み」という硬い意味は薄れ
「著者の人柄が出る、肩の凝らない文章。気楽な読み物」
という意味で使われるようになり、小説でもない、評論でもない、日記でもない文章を、まとめて「エッセイ」と呼ぶ、日本独自の解釈が広がりました。
また、ジャンルの境界が消失した結果、体験談、身辺雑記、旅行記、批評など、小説以外の散文を、とりあえず「エッセイ」に区分けする、といった感じの便利な箱になっていきました。
「未完成さ」が嫌われた
日本語の文章文化では
- 起承転結
- きれいなオチ
- 何かしらの教訓
が求められやすく、「考え途中で終わる文章」がジャンル化しにくかったのもあるようです。
まとめ
エッセイの本来の意味をまとめると、「結論の出ていない事柄に対して、自分の思考を試し、吟味する文章」といった感じのようです。
一応「エッセイとはこういうものである」という定義はありましたが、正直明確に理解はできませんでした。
人によって捉え方が違うというか、言ったもん勝ちみたいなところがあるので、「なんだか曖昧」という最初の印象は間違っているとも言い切れないような気がします。
- 「誰かに見せるため」に書いたもの → エッセイではない?
- 「なんか考えちゃったから書いたもの」 → エッセイ的?
日本では「ゆるい雑記」のイメージが強いですが、本来は
「未完成であることを恐れずに、考えのプロセスを提示する」
という、とても知的な「思考の実験室」だったようです。
と言うと、エッセイという言葉が少しカッコよく見えてきますが
曖昧に感じられる文章のジャンルだからか誰でも名乗りやすくて、そのせいで
「自称エッセイスト」となるとちょっと怪しげな雰囲気も生まれるのかもしれません。
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