「強み探し」に疲れたら。あえて「強みはいらない」と考える視点

頭の中

自己啓発書とかそういう系ではよく「自分の強みを見つけよう」「誰にでも強みがあるからそれを探しましょう」という言葉に出会います。

でも、そんなこと言われてもよくわからんもんはよくわからんのです。
すごい人ならそれがわかるのかもしれないけど、自分で自分の強みを見つけるなんて、そもそも自己評価がそれなりにないとスムーズにいきません。無理して探しても「自分の強みって何だろう…」「見つからない自分はダメなのか」と焦って疲れるのがオチです。

私自身、あんまり良くない学歴経歴なので、普通の人達と同じ土俵に立たなければと色々な情報を集めたり、意識高い系っぽく頑張ったりしていましたが、大抵はわかりやすい学歴経歴がある方が有利だし、結局最後は「運」だと感じ、自己啓発界隈からはだんだん離れてしまいました。

幸い、今はこういうこと気にしなくてもいい環境にいるのですが、ふと「強みとかそもそもいらなんじゃね?」と思ったのをきっかけに、世の中の主流である「強み探し」とは真逆の、「強みは不要」という意見が無いか、色々調べたことを共有してみたいと思います。

別に「こうすべき」という話じゃなくて、「こんな考え方もありますよ」という、ひとつの選択肢なので、「強み探し」をしている人を否定する意図はありません。
「知らん人が調べた結果メモ」程度としてお気軽にお読みください。

「強みにこだわる」ことの行き詰まり

世の中は「強み信仰」とも言えるくらい、強みを見つけることを重視しているように感じます。就職活動の自己PR、転職の職務経歴書、SNSでの発信…。仕事に限らず何に関しても「自分にはコレがあります」と言えないといけないようなプレッシャーです。

以前、ストレングスファインダーとかそういうやつをやって、その結果に一喜一憂していた時期がありました。「この強みを活かさなきゃ」と意識するあまり、逆に不自然になったり、それ以外の自分がダメなように感じたり。

そもそもそういうのは「強み」とは違う気がする、とか考えてしまう時点でおそらく強みではないんだろうな、と意味がわからなくなってきます。

うまいこと自分が納得できる「強み」が見つかれば自信になるかもしれませんが、見つからなければ自己否定につながりかねない。この「強み探し」は人によっては危険な探索かもしれません。

英語圏でのカウンター議論:成長を止める「強み信仰」

残念ながら、「強みなんていらねーんだよ!」といった明確に強み不要論を唱える情報は見つけられませんでした。

でもネットをウロウロしていたら、海外のビジネス分野「強みに集中するのをやめなさい(Stop Focusing on Your Strengths)」という比較的探しているものに近い主張がありました。

参照元
あとこことか

組織心理学者のトマス・チャモロ・プレムジック教授という方が主張してるようです。

教授の主張を要約。

  1. 成長の阻害
    強みに満足してしまうと、「自分はこれで十分だ」と学びや新しいスキルの習得を怠るようになる。これは「固定的なマインドセット」を助長してしまう。
  2. 致命的な弱点の放置
    これが最も深刻とのこと。どれだけ優れた強みがあっても、たった一つの「致命的な弱点(キャリア失墜要因)」—例えば、衝動性、傲慢さ、対人関係のトラブル—が放置されていると、それだけでキャリア全体が破綻する可能性がある。
  3. 「強み」の陳腐化
    今の環境や役職で「強み」とされていることが、未来も同じように通用する保証はない。

「強みを伸ばす」ことよりも「致命的な弱点を(他人に迷惑をかけないレベルまで)修正する」ことの方が、長期的なキャリアと成長において重要かもしれない、ということを言いたいようです。

「短所は捨てて長所だけを伸ばせ」とかいう感じのことをビジネス書で見た気がしますが、それとは逆方向の意見です。

これだから自己啓発界隈は……。

初心な少年を惑わす悪女のようです。

「強みは弱みにもなる」という視点

他に、「あなたの最大の強みは、最大の弱みにもなり得る(Your greatest strength can be your greatest weakness)」という感じの意見が英語圏情報ではまぁまぁありました。

別に仰々しく言うようなことでもないのですが、ざっくり

  • 細部へのこだわり」は強みだけど、過剰になれば「完璧主義で仕事が遅い」「部下を信用しない」という弱みになる。
  • 自信」は強みだけど、過剰になれば「傲慢」「他者の意見を聞かない」という弱みにる。

みたいなことです。

そう言われればそうだよな、という感じですが、世のエリートビジネスパーソンは常にこんなこと気にしながら仕事ができるんでしょうか?

「強み」とは絶対的なものではなく、文脈や度合いによって簡単に「弱み」に変わってしまう、なんてのはみんな言語化しなくてもわかっていると思われます。
良く言えば◯◯、悪く言えば✗✗、とか

「弱さの開示」という流れ

ちょっと方向性は違うけど、ここまでのものより具体的なのが、ブレネー・ブラウン氏が提唱する「弱さの開示(Vulnerability)」という考え方です。

TEDトーク「The power of vulnerability」や書籍『本当の勇気は「弱さ」を認めること』などで有名だそうです。(知らんかった)

ざっくり以下のような内容でした。(※超意訳)

  • 「つながり」の研究から「恥」と「弱さ」へ
    当初「つながり(connection)」の研究をしていたけど、人々が語る「つながりが断たれる(disconnection)」経験から、「恥(shame)」(自分にはつながる価値がないのではないかという恐れ)というテーマに行き着いた。その「恥」の根底には、「ありのままの自分を見せなければならない」という「耐えがたいほどの弱さ(vulnerability)」が存在することを発見した。
  • 「価値がある」と信じる人々の共通点
    「自己評価が高い」「自分を受け入れている」「自分に価値があると信じている」ような人には「不完全である勇気」を持っているという共通点があった。
    「まず自分自身に思いやりを持つ」こと、そして「ありのままでいる」ことによって本物の「つながり」を得ている。彼らは「弱さ」を快適なものとは捉えていないが、「必要不可欠なもの」として受け入れている。
  • 弱さを麻痺させることの問題点と弱さを受け入れる生き方
    多くの人は、傷つくことへの恐れから、アルコールや買い物、過度な仕事などで感情を「麻痺(numb)」させようとする。しかし、ネガティブな感情だけを麻痺させることはできず、喜びや感謝といったポジティブな感情も同時に麻痺させてしまう。弱さを麻痺させるのではなく、ありのままの自分を深く見せること、不確実性を受け入れて心を込めて愛すること、そして何より「自分はこれで十分だ(I am enough)」と信じることが大切だと結論づけている。

私の場合は強みうんぬんより、おそらく、こういった「自己信頼」のようなものが必要だったんだろうと過去を思い返して感じます。

今の私に「強み探し」は必要なくなったとはいえ、相変わらず心の弱いメンタル雑魚なのでこの本は読んでみようと思います。
概ね高評価ですが、日本語訳本にありがちな訳者のアレンジが入ってしまっているようなのでそこだけご注意を。

「強み」よりも「バランス」の話

ここまで、検索結果の一部を紹介してきましたが、結局のところ、「強み」が見つかれば万事OKという話でも、「弱点」を探してどうにかすればいいとかいう話でもないのでしょう。

ほっとくと「弱み」にばかり引っ張られる人が多いので、逆の「強み」を貴重なものとして捉えてしまいますが、たぶん、人間が本当に求めているのは、「強み」という一つのタグではなく、無意識のうちに「全体のバランス」をとりたがっているのかもしれません。

  • 「強み」にこだわりすぎれば、傲慢になったり、成長が止まったりする
  • かといって、「弱点」の克服ばかりに目を向けても、自己肯定感が下がって疲弊する
  • 「弱さ」を隠して「強そうに」振る舞い続けるのも、苦しい

もし今「強み探し」に疲れているなら、それは「強みがない」からではなく、「強み」という言葉の引力に縛られすぎているサインなのかもしれません。

でも「強み探し」しなくちゃなんないなら

こうして改めて調べてみると「あなたの強みは何ですか?」という問いは、心が弱く自己評価がそんなに高くない人間にとっては非常に危険な、「私」というものを狭い枠に押し込める呪いになると思いました。

もし「強み」が見つからなくて苦しいなら、一度その「強み探し」ゲームから降りた方が精神衛生上いいでしょう。

とはいえ、評価する側はこういった「強み」とかそういうのが好きな人種が多いので世の中でうまいことやっていくには「強みなんてねーよ」と言うわけにもいきません。

どうしても見つからないなら、よくあるテンプレで適当に誤魔化すか、それが嫌なら前述のような「常に成長することが強みなので、ある意味強みはありません」とか「弱みを無理やり逆にしてみる」とか「弱さを見せられることが強さです」とか正攻法以外でいくしかないんじゃないでしょうか。(適当)

なんだか嫌な記憶が続々と出てくるので調査はこのへんで切り上げて、引き続き「強み」を気にしない生き方が続けられるよう頑張ってみようと思いました。

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