やりたいことをやってる人なんてほとんどいない

やりたくてやってる人なんてほとんどいないのではないか?
という疑問について。

お店の店員の様子や、サラリーマンが愚痴る様子を見ると、
みんなやりたいことをやってない→というかむしろやりたくない→だからテキトーになる、
という負の連鎖や本音のようなものを感じます。

もちろん、みんながみんなそうではないし、
仕事は仕事として最善を尽くす、という姿勢を自然ととれるような方も
多くいらっしゃいます。

これは仕事に限らず、
学校、社会活動、人付き合いと、
マクロミクロ問わず当てはまるのではないかとも思います。

「これが私のライフワークです!」
のような人はほんの一握りであり、大半はそうではない
そしてそれが当たり前になっている。

やりたくないことをやっていれば、そりゃ不機嫌にもなりますが、
その不機嫌が連鎖してしまうのはとても残念なことです。

なんとも世知辛い世の中ですが、
慰みに、そんなような話について調べてみました。

「小さなイライラの悪循環」に対する違和感、
そして「なぜ多くの人が望まない時間を過ごしているのか」
という疑問は、人類が産業革命以降、ずっと抱え続けてきた
哲学的・社会的な問いの一つのようです。

「やりたくてやっているわけではない」という感覚が蔓延する理由や、
それに対する捉え方について、過去の思想や現代のデータをまとめてみました。

カール・マルクス:「疎外」という概念

この話と関連が強いのが、マルクスの「労働の疎外」です。

資本主義社会では労働者が
「自分のために、自分の創意工夫で作る」のではなく、
「他人の(会社の)目的のために、言われた通りの作業をする」
ことになると指摘しました。

これにより、人は自分の労働生産物や労働そのものから
「疎外」され、
自分自身をも見失うと説きました。

サラリーマンが愚痴りながらテキトーにこなす姿は、まさに労働が「自分自身の表現」ではなく、
単なる「賃金を得るための苦役」に成り下がっている状態(疎外された状態)
そのものと言えます。

参考

書籍:『経済学・哲学草稿』 (カール・マルクス)

特に「第一草稿」で、労働者が労働から疎外される4つの形態について詳しく語られています。

デヴィッド・グレーバー:「ブルシット・ジョブ」

現代の人類学者デヴィッド・グレーバーは、さらに踏み込んだ指摘をしました。

技術の進歩で労働時間は減るはずだったのに、逆に
「誰のためになっているのか分からないくそみたいな仕事(=ブルシット・ジョブ)」
が増殖しているという説です。

人は「自分が社会の役に立っている」と感じられない時、精神的に深く傷つきます。
「意味がない」とわかっている書類作成や会議を強いられることは、拷問に近いストレスなのです。

店員さんや会社員の投げやりな態度は、個人の資質というより、
「その仕事の意味を誰も(本人すら)信じていない」
という構造的な虚無感から来ている可能性があります。

参考

書籍:『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』
(デヴィッド・グレーバー / 酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹 訳)

なぜ「無意味な仕事」が増え続けるのか、そのメカニズムが痛快かつ残酷に描かれています。

データで見る現実:ギャラップ社の調査

「やりたいことをやっている人はほとんどいないのではないか?」
という直感は、数字でも裏付けられています。

アメリカの世論調査会社ギャラップが定期的に行っている「State of the Global Workplace(世界の職場環境調査)」によると

  • 意欲的に仕事をしている人
    20〜23%(世界全体で)
  • やる気がない人
    60% (時間だけ過ごしている層)
  • 職場を嫌っている人
    18% (不満を撒き散らす層)

約8割の人は「熱意を持って仕事をしていない」のが世界の現実です。

日本はこの数字がさらに低い傾向にあります。

参考

レポート:State of the Global Workplace Report (Gallup)

毎年更新されますが、日本の「熱意ある社員」の割合(5〜6%程度)が世界最低レベルであることは、近年のレポートで一貫して示されています。


逆転の視点:エイミー・レズネスキーの「ジョブ・クラフティング」

一方で、「仕事は仕事として最善を尽くす」ことが自然にできる人は何が違うのでしょうか?

組織心理学者のエイミー・レズネスキーは、病院の清掃員を対象にした研究を行いました。

  • グループA
    清掃を「汚れたものを片付ける退屈な作業」と捉えていた(満足度低)。
  • グループB
    清掃を「患者が早く回復するための環境作り(=医療チームの一員)」と捉えていた(満足度高)。

仕事の内容そのものではなく、
「その仕事にどういう意味づけ(物語)を自分で与えるか」
によって、態度は劇的に変わるということを、
「ジョブ・クラフティング」と呼んでいます。

「やりたい仕事」を見つけるのではなく、「今の仕事にやりがいを感じられる意味を自然に作れる」能力のある人が、あの一握りの「生き生きとした人」の正体かもしれません。

参考

論文:”Jobs, Careers, and Callings: People’s Relations to Their Work”
(Wrzesniewski, A. et al., 1997)

論文:”Crafting a Job: Revisioning Employees as Active Crafters of Their Work”
(Wrzesniewski, A. & Dutton, J. E., 2001)

古い論文ですが、この概念は今も多くのビジネス書で引用されているそうです。

論文は全然わからんのでこっちの要約を読みました。

ハンナ・アーレント:「労働」と「仕事」と「活動」

哲学者のハンナ・アーレントは、人間の営みを3つに分けました。

  1. 労働 (Labor):
    生きるために必要な、食べる糧を得るための苦役。消費されて消える。
  2. 仕事 (Work):
    建物や道具など、長く残る世界を作る行為。
  3. 活動 (Action):
    人と関わり、言葉を交わし、政治や社会を変える行為。

現代社会の問題は、本来「仕事」や「活動」であるべきものまで、すべてが食べるための「労働」に還元されてしまっている点にあります。

「生きるために仕方なくやる(労働)」モードに入ると、人はどうしても受動的になります。このモードから抜け出すのは、個人の努力だけではなかなか難しいのが現状です。

参考

書籍:『人間の条件』 (ハンナ・アーレント)

労働(Labor)、仕事(Work)、活動(Action)の定義は本書の核となる部分です。

まとめ

イライラの悪循環は、各個人の問題というよりは
「自分の行為が世界とどう繋がっているか実感できない(疎外)」
という現代特有の病と言えるかもしれません。

「やりたいこと(ライフワーク)」を明確に持っている人は稀ですが、
「目の前の小さなタスクに自分なりの美学や意味を見出す」
ことは誰にでも可能です。

あなたの捉え方1つで、今の仕事をやりがいを感じられるものに変えることはできるのです。

と、きれいな終わり方にはできません。

いくら綺麗事を言っても、やりたくないものはやりたくないんだからしょうがないし、みんながやりたいことをやって生きていける社会でもないし、生きるためにはお金が必要です。

「同情するなら金をくれ」「地獄の沙汰も金次第」

「ごちゃごちゃ書いたけど、そんなことより対価がそれなりにあるかが重要なんじゃね?」「対価が増えてもそんなに変わらんのかなぁ。」「でもそういうゆとりがあれば少しは変わる気がする。」
と、よくわからなくなってしまいました。

結局、先程の調査内容は「システム」のような大枠がある前提で、その中についての指摘や対策のことです。

「やりたくてやってる人なんてほとんどいないのではないか?」
という疑問の答えは単純に「YES」ですが、
「そもそも、そんな工夫をしてまで、なぜこのシステムにいなきゃいけないんだ?」
と新たな疑問が生まれてしまいます。

EX: ジョブ・クラフティングの深掘り — 与えられた「作業」を「自分の仕事」にする技術

つまらない仕事を少しでもマシにしたいなら、ジョブ・クラフティング関係のことが一番やりやすいかな?
ということで、一応具体的な内容についても少し書いておきます。


多くの人が「悪循環」に陥るのは、
マニュアルに書かれたことだけを、言われた通りにやる
という「受動的な態勢」に固定されているからです。

これを内側から書き換えるのがジョブ・クラフティングです。

ジョブ・クラフティングには主に3つのアプローチがあります。

① タスク・クラフティング(仕事のやり方や範囲を変える)

与えられた業務の内容を、自分の強みや興味に合わせて微調整することです。

例(店員の場合)

  • マニュアル通り
    「レジを打ち、袋詰めをする」
  • クラフティング後
    「商品の配置を少しだけ美しく整えてみる」「常連客の好みを覚えて、一言添えてみる」

ポイント

勝手にやるわけですが、結果として店の利益を損なわない範囲で、
自分が「楽しい」「得意だ」と思えるタスクをこっそり増やし、
嫌いなタスクの手間を減らす工夫をします。

② リレーショナル・クラフティング(関わる人を変える)

仕事を通じて誰と、どう関わるかを変えることです。

例(愚痴っぽいサラリーマンの場合)

  • これまで
    「愚痴ばかり言う同僚とランチに行き、傷を舐め合う」
  • クラフティング後
    「愚痴る同僚とは距離を置き、別部署の少し面白そうな人と話す機会を作る」
    「後輩のメンター役を勝手に引き受け、教える喜びを見出す」

ポイント

「嫌な人」との接触時間を物理的・精神的に減らし、「エネルギーをくれる人」との接触を増やすよう、業務フローを意図的に操作します。

③ コグニティブ・クラフティング(意味づけを変える)

これが最も強力で、かつ費用がかかりません。その仕事が「何のために存在するか」の定義を脳内で書き換えます。

例(清掃員の研究事例)

  • これまで
    「ゴミを片付ける仕事」
  • クラフティング後
    「患者が安心して回復するための、衛生的な空間を守るヒーラーの一員」

ポイント

冒頭の「悪循環」の話で言えば、「生活費を稼ぐための懲役」と捉えるか、「人間観察のフィールドワーク」と捉えるか、といった違いです。

なぜこれが「悪循環」を断ち切るのか?

ジョブ・クラフティングの本質は、「主体性の奪還」です。

「やりたくない」と感じる最大の原因は、仕事の内容そのものよりも「やらされている(コントロールできない)」という無力感にあります。

たとえ客観的には同じ単純作業であっても、「自分でここを工夫した」「自分で意味を決めた」という感覚が1ミリでも入るだけで、
それは「他人のための労働(疎外)」から「自分のための活動」へと質が変化します。

同じバイトのはずなのに、見ていて感動するレベルで丁寧でフレンドリーで気が利くような方がいらっしゃいますが、そういう方の年齢層はまちまちです。

あの一握りの「生き生きしている人」は、おそらく最高の職場にいるわけではなく、置かれた場所を自分好みにリノベーションする勝手な工夫がうまいのかもしれません。

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