【メモ】何かを作り出すときの迷いに関する先人たちの姿勢

「これでいいのか?」「もっと他にいいアイデアはないか?」
結局最初のインスピレーションが一番良かったのかも、でもなぁ…。

何かを生み出す行為についてまわる疑念。

なんとも贅沢な悩みについて、先人たちはどう考えていたのか、に関するメモです。

先人の姿勢

エドワード・ホッパー

Nighthawks(1942)

彼の絵は「静かで完成されている」ように見えますが、
本人は一生「これでいいのか分からない」と言い続けていた人です。

  • 人が少なすぎるのでは?
  • 意味がなさすぎるのでは?
  • ただの孤独の投影では?

→ それでも彼は意味を説明しなかった
結果として、観る側が意味を置ける余白が残った。

村上春樹

「これは文学なのかどうか、今でも分からない」

と何度も言っています。
でも彼はこうも言っています。

「分からないまま、毎日机に向かうことだけはやめなかった」

信じたのは“作品”ではなく“作る行為”

アンドレイ・タルコフスキー

彼の映画は哲学的に見えますが、本人は

「私は意味を作っていない。ただ“時間が流れる様子”を撮っている」

と言っています。

  • 観客が理解できるか?
  • 難解すぎないか?

という問いに対して彼が出した答えは「観客を信頼する」でした。

アニエス・ヴァルダ

彼女は制作中、よくこう言ったそうです。

「分からないまま進んでる時が、いちばん正しい」

完成後に意味が生まれることを、最初から期待しない

ジョナス・メカス

日記映画の祖ですが、彼の姿勢は極端。

「重要かどうかは、あとで誰かが決める」

自分の役割は“残すこと”だけ

「自分を信じられるか」という問いの正体

自分を信じられるか、という問いは、こう言い換えることもできます。

❌ 自分を信じられるか
⭕ 自分の“不安がある状態”を許せるか

彼らがやっていた“乗り越え方”の共通点

① 自分の感覚を「正しい」とは思っていない

ただし、

  • 間違っているとも決めない
  • 「今はこれしか見えない」という状態を尊重する

② “完成”を信じていない

完成させようとすると、迷いは敵になります。

彼らはこう考えていました。

  • これは途中
  • これは一時的な形
  • 次で変わってもいい

後で作り直しても別に構わない。

③ 「分からなさ」を作品の一部にしている

自分が完成していたら、そもそも作る必要がないのかもしれない。

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