「これでいいのか?」「もっと他にいいアイデアはないか?」
結局最初のインスピレーションが一番良かったのかも、でもなぁ…。
何かを生み出す行為についてまわる疑念。
なんとも贅沢な悩みについて、先人たちはどう考えていたのか、に関するメモです。
先人の姿勢
エドワード・ホッパー

彼の絵は「静かで完成されている」ように見えますが、
本人は一生「これでいいのか分からない」と言い続けていた人です。
- 人が少なすぎるのでは?
- 意味がなさすぎるのでは?
- ただの孤独の投影では?
→ それでも彼は意味を説明しなかった
結果として、観る側が意味を置ける余白が残った。
村上春樹
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「これは文学なのかどうか、今でも分からない」
と何度も言っています。
でも彼はこうも言っています。
「分からないまま、毎日机に向かうことだけはやめなかった」
→ 信じたのは“作品”ではなく“作る行為”
アンドレイ・タルコフスキー
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彼の映画は哲学的に見えますが、本人は
「私は意味を作っていない。ただ“時間が流れる様子”を撮っている」
と言っています。
- 観客が理解できるか?
- 難解すぎないか?
という問いに対して彼が出した答えは「観客を信頼する」でした。
アニエス・ヴァルダ
彼女は制作中、よくこう言ったそうです。
「分からないまま進んでる時が、いちばん正しい」
完成後に意味が生まれることを、最初から期待しない。
ジョナス・メカス
日記映画の祖ですが、彼の姿勢は極端。
「重要かどうかは、あとで誰かが決める」
自分の役割は“残すこと”だけ。
「自分を信じられるか」という問いの正体
自分を信じられるか、という問いは、こう言い換えることもできます。
❌ 自分を信じられるか
⭕ 自分の“不安がある状態”を許せるか
彼らがやっていた“乗り越え方”の共通点
① 自分の感覚を「正しい」とは思っていない
ただし、
- 間違っているとも決めない
- 「今はこれしか見えない」という状態を尊重する
② “完成”を信じていない
完成させようとすると、迷いは敵になります。
彼らはこう考えていました。
- これは途中
- これは一時的な形
- 次で変わってもいい
後で作り直しても別に構わない。
③ 「分からなさ」を作品の一部にしている
自分が完成していたら、そもそも作る必要がないのかもしれない。





