片側二車線の道路の中央分離帯と歩道との境目に、
植木ゾーン的なものがありますが、
あれはなぜそんな設計にしたのでしょうか?
夏場は草刈りで渋滞の元だし、
店から出る時邪魔で危険だったりと
メリットがとんでもなく少ない気がします。
当時の国の施策やそれに群がる怪しいお金の動きを勘ぐってしまいます。
ここ最近、その植木ゾーンを掘り返してアスファルトで埋める工事をよく見かけます。
歓迎すべきことですが、なぜ今更になって方針転換したのでしょうか?
かつて、道路脇に限らずあれほど多くの木々が植えられたのは
「高度経済成長期の公害対策・安全対策」が主な理由のようです。
(もちろん、「予算消化」の側面も強かったようですが)
そして最近、それらをアスファルトで埋めているのは、
国の道路行政の方針が「維持管理コストの削減」と「安全確保」へ
180度転換したことが大きく関係しています。
なぜあんなに木を植えたのか?(当時の建前と本音)
「植木ゾーン」の正式名称 → 植栽帯、植樹帯
昭和40〜50年代、道路に植栽帯や植樹帯が積極的に設けられたのには、当時の社会背景があります。
建前:機能的なメリット?
- 対向車のライトを防ぐ(遮光植栽):
中央分離帯の木は、夜間に対向車のヘッドライトが眩しくないようにする
「目隠し」の役割がありました。 - 公害対策・環境保護:
排気ガスや騒音を少しでも吸収する、
殺風景な道路に緑を増やす、
ヒートアイランド現象を和らげる
といった環境対策としての意味合いが強くありました。 - 歩車分離の明確化:
歩道と車道の間の植え込みは、
「車が歩道に突っ込まないようにする」
「歩行者の飛び出しを防ぐ」
というガードレールのような役割も期待されていました。
本音:「お金」と謎の目標値
- 予算の確保と消化:
公共事業が盛んだった時代、
「道路を作る=予算を使って立派なものを作る」
ことが良しとされました。
単にアスファルトで舗装するよりも、
植樹枡を作り、木を植える方が工事単価が上がり、
その後の「剪定・維持管理」という仕事も永続的に発生します。 - 「緑化率」の達成:
都市計画において「緑化率(緑の面積の割合)」の目標値があり、
用地買収が難しい街中では、
道路の中に無理やり緑を作ることで
数字を稼いでいた側面もあります。
なぜ今、アスファルトで埋めているのか?
最近よく見る「植え込み撤去工事」は、
主に以下の3つの理由による国の政策転換です。
① 維持管理の限界(人手不足とコスト)
これが最大の理由です。
- 予算不足:
地方自治体も国も、道路維持管理の予算が減っています。
年数回の草刈りや剪定にかかる費用が賄えなくなってきました。 - 人手不足:
造園業の職人が減っており、広範囲の草刈りを依頼すること自体が難しくなっています。 - 雑草の生命力:
植木の間から生える雑草の処理が追いつかず、
「見栄えが悪い」「視界を遮る」
という本末転倒な状態が多発しました。
② 安全性の再評価(視認性の確保)
「店から出る時に草木が邪魔で見えない」という点は、
実際に事故の原因として問題視されるようになりました。
- 木が育ちすぎて標識や信号が見えない。
- 交差点や店舗出入り口で、歩行者や自転車が見えない。
- 台風で倒木して道路を塞ぐリスク。
これらを防ぐため、
「視認性を阻害するくらいなら無いほうが安全」
という判断に変わりました。
③ 道路空間の再配分(自転車レーンの確保など)
これが最近のトレンドです。
国土交通省は現在、「道路空間の再構築」を進めています。
- 使われていない、または維持困難な植樹帯を撤去し、
そのスペースを
「自転車専用レーン」や「右折レーン」
に転用する動きが加速しています。 - 植え込みをなくしてフラットなアスファルトにすることで、
幅の広い歩道として整備し直すケースも増えています。
まとめ
かつて植樹帯は
「環境と景観(と予算消化)」のために作られましたが、
現在は「コスト削減と実質的な安全」を優先し、
それらをぶっこわして雑草が生えないようにコンクリートやアスファルトで封印する、
という方向に舵が切られています。
「メリットが少ない」
「怪しいお金の動き(維持管理利権など)」
という感覚は、間違いではなかったようです。
「環境」とか「自然」が絡むと、
必然的に怪しい金の流れが生まれるのがテンプレ化してるので、
まぁそうだよね、という感じです。
正直邪魔だったし、草木はあるべき場所で愛でればいいので、
無くなっていくのはいいのですが、少しさびしさもあります。
電話ボックス、デパートの屋上遊園地、アドバルーン。
学校の焼却炉、遊具の回るやつ、ハローマック。
植樹帯ももうすぐ、懐かしの風景になるのかもしれません。
